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ルーメル通り

「ルーメル通り」の誕生

日本モンテッソーリ協会(学会)の第3代目会長・理事長クラウス・ルーメル先生は、「私は1916年9月28日ドイツ・ケルン近郊プルハイム市で生まれ、3日後の10月1日にプルハイム教区教会で受洗」と、自叙伝に記している。2011年3月1日、彼は東京にて帰天。
ルーメル先生死去後4年目、すなわち2015年11月10日、故郷のプルハイム市議会は、市内の一つの通りを「ルーメル通り」と命名する、と満場一致で議決した。 どのようなゆえんなのでしょうか。
2007年11月、当時ドイツのノルドライン・ウストファーレン(NRW)州首相ユルゲン・ルッツガース博士(Dr. Jürgen Rüttgers)は、日本を公式訪問し、いろいろと聞いていた同郷人ルーメル先生との面会を希望し、上智大学のSJハウスで会談することを実現させた。プルハイム出身者の2人は強烈に互いに魅かれた。
ルッツガース首相は『プルハイム市史』第37巻(2012年)321-325頁にプルハイム市出身のルーメル先生について詳しく、尊敬の念を込めて、執筆した。広島での被爆体験、長期にわたる上智大学の理事長(2回)、副学長、SJハウス院長(2回)などの役職、教育学科教授として日本モンテッソーリ協会(学会)に協力したこと、日独カトリック教会や国や経済界への多種多様な諸活動を報告した。「ルーメル師は広島の被爆証人として2つの国(わが国とドイツ)の橋渡しを行った」とも著した。
ルッツガース首相はモール上智大学名誉教授に「ルーメル先生の功績をたたえ、そのように素晴らしい人がプルハイムにいたことを多くのプルハイム市民がいつまでも忘れないように、『ルーメル通り』と命名した道路をつくる計画が浮上している」(2013年1月23日付書簡)と連絡してきた。
この計画が完成して、日本モンテッソーリ協会(学会)第三代目会長・理事長の名前の道路標識「ルーメル通り」が誕生した。
これが「ルーメル通り」のゆえんです。